カシマシレポート

表現をつくって23年。山も谷もありますが、だんだんとおもしろい会社になってきました。きちんとお返事できる自信がなくて、facebookは登録したまま放ってあります。普段お会いできない皆さんにも便りをと思いこの◯山談義を始めることにしました。気まぐれな更新になると思いますが、お付き合いいただけると嬉しいです。 代表取締役 丸山 典久

『生を享け、滅せぬもののあるべきか』は敦盛 (幸若舞)の一節で、かの織田信長が好んで舞ったと伝えられています。


 
昨日、カミュの「異邦人」を読了して後、その一節が脳裏に浮かび、表題「社会性と我がまま」へと思索トリップしてみました。

生を受けて、この世に誕生した、まさにその時から、人は社会に飛び込むわけです。
基本的に父と母が存在して3人の世界から人生が始まる。
自然には一人で子供は出来ないですもんね。
あっ、マリア様は処女懐胎って事になってましたね。

神話は兎も角、人は生を享けてこの世に誕生した時から最小単位の社会である家族の一員になるんです。
ここから、反抗期や思春期を経て、自我を形成・拡大していくようです。
その過程で、自分の頭で認識・思考して、『人間とはなんぞや』『そもそも自分は何者か』と、思索の拠り所を自分自身に求めます。

ここの所が面白い。
生を享けた時に3人だったのが、思索に至り1人になる。
他者の頭で思索することは出来ないですもんね。
物心付いた幼い自分が一人で考えるわけです。
そりゃ、大人の世界である社会が見えなくて当然。
反抗期が有って当たり前です。
ない方が明らかに怖い。

で、小生を含めた読者の皆さんは安心できますよね (笑)。

でも、ずっと反抗期が続くようだと、ただの我がままな大人になっちゃうわけです。
そこで、社会性なる認識が必要になる。

ここの所も面白い。
我がままな自分を認識した上で、世の中には70億もの我がままが在る事を慮る。
でも、他者の頭の中は想像できても理解できない。

つまり、社会性とは、そのような物のようです。
皆、自分が自分に対してだけは誰よりも限りなく理解が容易い。
しかし、本人以外の者は十分な理解は無理で慮るだけ。

では、慮る事が必要か?
「情に棹させば流される」なんて言葉もある。

思い切って社会性を切り捨て、我がままを極めるのも有りか?
そんな種属・・・・・、居た、芸術家や独裁者に見られる属性だ。
それもまたそれはそれ。
友人にも多いし、魅力的な人物もあり、それもまたそれはそれ。

しかし、ユートピアが在るなら、出来るだけ自分以外の者を慮る社会であって欲しい。
思いやりが無いのは、かなり辛い環境に思える。

ここから先の深いところは、賢明な皆さんにお任せして、機会があれば座談会なんぞ出来ればと考える新春です。

物凄い事業欲の起業家たちが功成り名遂げながら、晩節を汚すケースが頻繁なのを
一考しておりましたところ、表題の言葉が浮かんできました。

そこで、『中庸』とは如何なるものかを思惟してみました。

 

物事は中庸を持って最良とす。

偏りは奥浅く、中庸は奥深い。

偏った完成の次段階に中庸の世界が広がる。

生来の中庸は望み難く、偏った完成の後に広大な中庸の世界が広がる。

自己が他者から発生したように、物事の思慮も偏りより生じ他(中庸)へ広がる。

 

最近、インスピレーションが働く時は、最初に言葉が浮かんできます。

その後、その言葉が暗示する概念が湧き上がります。

不思議と瞬時の事です。

その時に書き留めないと、思索は忘れ去られたりします。

まるで、起き掛けの夢のようです。

書き留めるって大事ですね。

お陰で、久しぶりに談義アップ出来ました。

カリフォルニア州の中古品店で2ドルで販売された写真が、米西部開拓時代の無法者
ビリー・ザ・キッドの写真だったそうな。

その価値は、500万ドル(約6億円)なそうな。

 

ビリー・ザ・キッドの写真は有名な立ち姿の1枚だけだったのが、
このクロッケー中の小さな写真(10×13センチ)が加わり2枚になったそうな。

1枚目は、2010年に230万ドル(約2億7000万円)で売買されたそうな。

 

私なら100ドルでも欲しくないが、転売目的なら意味が違ってくる。

自分が認める価値と社会通念上の価値、あるいは商業活動上の価値、
直截には貨幣価値は甚だしく隔たる事が在る訳で・・・。

 

何ともかんとも、通念とはおかしなモノです。

北日本文学賞で好評を得た処女作『白花立つ』、ゆきのまち幻想文学賞入選作『祝福』に続き、某所に応募中の3作目『緋龍の子』です。

激賞後に出版されると、皆様に幾ばくかの出費を強いる事になるかと存じますので、勝手ながら梅雨間のプレゼントと御笑納下さい。

テーマは「5分間」で原稿用紙20枚以内に収めた小学校高学年~高校生向けファンタジーです。

「俺は子供じゃないぞ」などと仰らず、永遠の青春謳歌者として、しばしタイムスリップして下さい。

 

温かい気持ちになる事、請負います。

また、読了後は「ご意見・ご感想」賜りますれば筆者望外の喜びかと存じます。
宜しければ、作家のアドレスwatanabe@hyogen.com に直接お願いいたします。

『緋龍の子』を読む

尊敬する経営者が、「丸山君、会社のトップと他を比べると、ゴルフのバックティーとレディースティー程の差がある。同じゴルフでも全く景色が違う」と仰った。
元来、能天気な小生には、会社勤めの時も表現設立後も同じ景色に見えたが、大先輩の有り難いお言葉に頷いて見せた。

この大先輩も、大学卒業後、会社勤めを経て起業した。
会社は数年で畳んだが、その次に勤めた会社でNO.2を勤め上げ堂々たる会社を築き上げた。

理想的なNO.2経営者だ。

小なりといえど、私は表現のトップである。
しかし、トップだからNO.2より立派な訳でも何でもない。
私より、NO.2として機能性が高い人は居るのだ。
トップとしての機能が現、表現では小生が一番高いだけの事なのだ。

そう、要は機能なのだ。

トップとして機能するのか?
NO.2として機能するのか?
この問いかけに応えて(実践して)、最高のパフォーマンスを発揮するNO.2を得た組織は盤石だ。

一人で何でも出来ると思えば、裸の王様になる。
何もかも人任せにしたら、無秩序になる。

将来の表現トップが最良のNO.2を得る事、ないしは、NO.2が最良のトップを得る事を期待している。

トップは強く熱く激しい、NO.2は足るを知り冷静で落ち着いている。
個性を活かしてこそ、組織の社会性は高まる。

 
今回は断定的な文章になってしまいました。
御許し下さい。

評価を受けた処女作『白花立つ』に続き、
2作目『祝福』が「ゆきのまち幻想文学賞」に入選しました。
応募1088編中、入選以上は18編ですから流石です。
今回は高校時代に考えたペンネーム渡理五月(ワタリ・サツキ)で投稿したそうです。
来年出版される「ゆきのまち幻想文学賞小品集」に掲載されるそうですが、
かしまし読者の皆様に世界最速で御紹介いたします。
「雪の幻想性」を、原稿用紙10枚以内に収めた内容ですから、肩肘張らずに数分で読んで頂けます。

また、読了後は「ご意見・ご感想」賜りますれば筆者望外の喜びかと存じます。
宜しければ、作家のアドレスwatanabe@hyogen.comに直接お願いいたします。

「うちのコピーも担当させなさい」などの御要望が有りましたら、
金沢から出張ライターさせますので弊社担当まで仰せつけ下さい。

『祝福』を読む

久しぶりに会う友人の話。

彼と初めて会ったのは、10数年前の会社説明会。
いかつい顔ながら、笑うと目尻に人の良い皺のできる好漢。

雰囲気の有る人物だったので、例のごとく選考対象となり、インターン生としてアルバイトに突入。
丁度、東京営業所の開所時期に重なり、なおかつ、
初代東京営業所長が彼の先輩(京都大学総合人間学部)だった奇縁もあり、
立ち上げにも協力してもらった。

 

話は逸れるが、表現の男性社員は理系が多いのだが、
文系だと総合人間学部などのヒューマン系が多い。

ちなみに、その初代東京営業所所長は表現退職後、アフリカで医療に目覚め、
帰国後、東北大医学部を卒業して念願のお医者様になりました。

仕事ぶりを知っているので、患者になりたいと思いませんが、今でも親交のあるナイスガイです。

 

話を戻して・・・・・

彼にキャリアアドバイスを実施したところ、びっくり仰天の回答が・・・・・。
「競馬が好きなんです」。

で、私も同じノリで
「じゃ、競馬新聞の会社に入社したら」

顛末は、某スポニチ新聞に入社して、新入社員時は
男性諸氏一押しの記事ページ(カラーイメージでいうとピンク色のページ)をひたすら校正。

その頃は頭の中ドピンクだったんでしょうが、競馬への情熱は冷めず、
2年目には念願の競馬記者に、
と聞いていたのも束の間、ある時、テレビの競馬中継を見ると聞き覚えのある声が。

彼が、自慢の美声でパドック解説をしていました。

今は様々な部門へジョブローテーション中で、将来を嘱望されているようです。

 

ここからは、私の話。

前述のような感じで30年近くキャリアアドバイザーをしてきましたが、
テーマは常に、「君、何したいん?」「君、それ出来るん?」「じゃ、やったら」でした。

それで、表現に入った朋、出て行った朋、居付いた朋、出戻った朋と様々ですが、
皆、朋友として大切な関係性を生み出せました。

そんな朋友と語るのは孔子ならずとも「楽しからずや」です。

彼と会うのは一年ぶり。
どれほど男前が上がっているか楽しみです。

 

今回の談義表題は、論語学而第一の一文ですが、
守破離にも通じる一節ですので以下に紹介させて頂きます。

子曰く、学びて時に之を習う。亦説(よろこ)ばしからずや。
朋有り、遠方より来る。亦楽しからずや。人知らずして慍(いきど)おらず、亦君子ならずや。

教育事業を始めてから、未来の事を考えるのが増えました。
子供たちにサービスを提供するからでしょうか。
若い子供たちには、限りない未来が開いています。
五十路を過ぎた私のように、未来は一定の期間で閉じている訳ではないようです。

ただ、その子供たちが未来社会のリーダーになる時までに、我々年長者の役割は重要です。
なぜなら、子供たちは良い親や教師といった指導者がいて成長してゆきます。
決して、ほったらかして育つものではありません。

ならば、指導者である大人は如何に子供に接するべきか?
キレる子供が増えていると言われて久しいですが、キレる大人も増えています。
指導者である大人がキレてたら、子供に伝染しますよね。

人の遺伝は身体的特徴だけではありません。
心も遺伝します。
心は遺伝子によって遺伝するのではないだけに、血縁でない者も重要な役割を担います。
自分の育った子供の頃を思い出せば得心できます。

つまり、未来の社会を担うのは現在の子供たちだが、
その子供たちを導くのは大人の役割だと強く思うのです。

だから、未来の為に大人よ頑張れ!!

良い会社の定義は、
「社員が活き活きして、成長している」「売り上げが多く、利益も多い」
「他にない技術や商品を持っている」「株主配当が大きい」などなど様々ありますが、
「社員が常に全力を尽くす」も賛同の多いものです。

その、『全力を尽くす秘訣』を考えました。

表題の前語「シュハリ」は「守破離」と書きます。

川上不白(かわかみふはく)という表千家流茶道家で江戸千家流の開祖が
茶道の修業段階を説明した言葉です。

『守』は、師匠の教えを忠実に守り、免許皆伝に至る段階。

『破』は、他流を学び、創意工夫して、更に師の教えを洗練させる段階。

『離』は、『守』も『破』も越えて何物にも囚われずに自在でありながら、名人である境地。

表題の後語「ジョハリ」は「ジョハリの窓」の事です。

ジョハリの窓とはアメリカの心理学者ジョセフとハリーが提唱した、
「公開された自己」(open self)、
「隠された自己」(hidden self)、
「自分は気付いていないが、他人は気付いている自己」(blind self)、
「自分も他人も気付いていない自己」(unknown self)
の人の4つの窓です。

『守破離』と『ジョハリの窓』を学べば全力を尽くし、かつ、大きな成果を得ることが出来そうです。

今、自分がどこにいるのか?

周囲はどんな状況なのか?

正確な羅針盤を持てば、迷いなく進めます。

25年前に或る入社試験を作りましたが、久しぶりに人材開発系の研修商材が出来上がります。

表現のお客様には私が売り込みに行きますし、研修のトレーナーも小生ですので覚悟しといて下さい 笑。

前回の談義で御案内した渡辺真理子の『白花立つ』、
お褒めの言葉を頂戴した皆様、真理子に成り代わり御礼申し上げます。

が、更に厚かましく作家本人からの要望にお応え頂けると幸いです。

つまり、「ご意見・ご感想」を頂戴したいそうでございます。

送り先は作家のアドレスwatanabe@hyogen.comに直接お願いいたします。

将来の大作家の処女作に意見したのは俺だ!私だ!!
と言う権利をもれなく差し上げますので宜しくお願いいたします 笑。